閉館危機の加茂水族館(クラゲ水族館)を立て直した村上龍男名誉館長とはどんな人なのか?

クラゲ

山形県にある加茂水族館をご存知ですか?

ここは「クラゲドリーム館」と愛称がつくほど、クラゲが有名な水族館です。

今では多くの入館者が訪れる人気の水族館ですが、かつては閉館危機に陥ったことがあります。

閉館危機から人気の水族館にまでなったいわゆる「逆転」の復活劇を成し遂げた水族館なのですが、どのようなことがあって逆転できたのでしょうか?

その復活劇を語るうえで忘れてはならないのが、当時の館長である村上館長です。
現在は、加茂水族館名誉館長となられています。

どのようにして逆転復活できたのか、そして、功労者の村上館長がどのような人なのかを見てみましょう。

2019年6月17日にNHKで逆転人生・「世界に誇るクラゲ水族館 閉館危機からの奇跡」が放送されました。
7月21日(日)朝9時~再放送が予定されています。



村上龍男のプロフィール

氏名:村上龍男(むらかみ たつお)
生年月日:昭和14年11月26日生まれ
出身:東京都渋谷区原宿 
現住所:山形県鶴岡市羽黒町
2才より父の実家へ戻り現在に至る
学歴
昭和30年 泉村立泉中学卒
昭和33年 キリスト教独立学園高等学校卒
昭和38年 山形大学農学部卒
(阿部襄教授の下で淡水魚の生態を勉ぶ)
職歴
昭和38年 東京の(株)佐藤商事に入社
昭和41年 鶴岡市立加茂水族館に勤務
昭和42年 水族館が(株)庄内観光公社に売却
同時に館長に就任
平成14年4月 水族館が鶴岡市に買い戻される
(経営は鶴岡市開発公社へ委託)館長として現在に至る

(引用:村上龍男事務所オフィシャルサイト

加茂水族館の歴史

1930年:山形県加茂町(当時)の有志によって設立された、民間の水族館としてスタート

1955年:加茂町が鶴岡市と合併したため、鶴岡市立加茂水族館となる。

1964年:現在の場所に新築移転される。

1966年:村上龍男さん、鶴岡市立加茂水族館に入館。

1967年:鶴岡市は加茂水族館を民間会社に売却。
27歳の村上龍男さんが館長に任命される。

1971年:民間会社の経営不振から水族館は閉館。
従業員は解雇されたが、一部の元従業員4人が自腹を切りながら、そして市民からの寄付を受けながら水族館の生き物たちの世話をしていく。

1972年:地元出身者が経営する会社が新たなオーナーとなり、再開館。

1976年:強風と高波によりアシカのプールや倉庫が全半壊したためしばらく休館。

1993年:人気のラッコの展示を始める。

1997年:当時、流行っていたサンゴの企画展「生きたサンゴと珊瑚礁の魚展」開催。
偶然、サンゴの水槽でクラゲが見つかる。

2000年:クラゲの展示数で日本一となる。

2002年:鶴岡市に買い戻され、35年ぶりに「鶴岡市立加茂水族館」となった。

2005年:クラゲ展示数世界一となる。

2006年:クラゲレストランがオ―プン。市からの補助金なしの健全経営を持続している。

2010年:ノーベル化学賞の下村氏が1日館長を務めるなど、「世界の加茂水族館」となった。

2012年:クラゲの展示種類数でギネス認定される。

2013年:新館の建設費の一部を賄うミニ公募債「加茂水族館クラゲドリーム債」3億円を募集。
発売20分で完売。

2014年:新館を開館。
愛称「クラゲドリーム館」

2015年:新館開業からの入館者数が100万人を超える。

2017年:新館開業からの入館者数が200万人を超える。

(引用:ウィキペディア

歴史が古い水族館ですね。1930年スタートということですから来年は90周年なんですね。

閉館の危機に陥っても従業員の方々が自腹を切られたり、市民の方々からの寄付があったりして頑張ってこられたそうですが、とても大変だったと思います。



加茂水族館存続のために行ってきたこと

当時人気の生き物の展示を行う

入館者を増やすため、当時人気のあった生き物を展示していきますが、なかなか回復には結び付きません。

アライグマを展示したこともあるそうです。

水族館にアライグマですか・・・。
アライグマと言えば動物園のような気がしますが・・・。

「あらいぐまラスカル」というアニメがきっかけで、アライグマ人気の時期が確かにありました。

それで展示を始めたようですが、結果には結び付きませんでした。

 
ラッコの展示も始めましたが目新しさは既に無く、こちらも入館者数の回復には至りませんでした。

確かに水族館には必ずラッコがいるイメージがあります。

 
そしてサンゴの展示を行いますが、やはり入館者増には至らず、逆に入館者数が過去最低の9万2000人を記録しました。

年間9万2000人とは、単純計算で1ヶ月で7600人強、1日当たり250人強なので、維持費を考えるとかなり厳しい状況ですね。

従業員の給与や設備投資は?

従業員の給与も長いこと据え置かれ、老朽化した施設の改修もできないままです。

出口の見えないトンネルのような感じですね。

「明けない夜はない」。もしかしたら、そう思いながら仕事されていたのかもしれませんね。

クラゲが加茂水族館を救う?

サンゴを展示したときに、偶然サンゴの水槽の中でクラゲが見つかりました。

このクラゲこそ、加茂水族館の閉館危機を救うきっかけとなります。

癒しブームもあって「クラゲ」の展示で入館者数が増えていきます。

ここで「クラゲを育てよう!」と誰も思わなければ何も変わらなかったんですよね。

色々試してきたからこそ「今度こそ!」と思ったのかもしれません。

誰もクラゲの飼育方法を知らない中、試行錯誤で飼育を始めますが、失敗の連続だったそうです。

この「クラゲ」の飼育担当になったのが現在の館長である奥泉和也さんです。

失敗を繰り返しながら飼育方法を見つけていき、その甲斐あって、クラゲの展示数も増えていきます。

そして、今では世界一の展示数を誇る「クラゲ水族館」になり、入館者数も増え閉館危機を脱することが出来ました。

 

加茂水族館奥泉和也(クラゲ水族館館長)は加茂水族館の廃館危機を救った!どのような復活劇があったのか?

村上龍男の功績

個人で多額の負債を抱える

館長である村上さんは水族館が不振の時、個人で家屋を担保に1億円以上の負債を背負ったそうです。

水族館のための負債ですよ!

家族のことを考えるとなかなかできることではないと思います。

ご家族の方も村上さんを信じ、協力してこられたんですね。

クラゲメニューを考案

クラゲの展示だけでなく、クラゲを食べることに着目しました。

生で食べるだけでなく、クラゲアイス、クラゲラーメン、クラゲ定食など考案していきます。

クラゲ料理の珍しさも手伝い、入館者数が増えていきます。

食べたことはありませんが、どんな食感なのでしょう。

コリコリしているイメージはありますが、味の想像は付かないです。

機会があれば食べてみたいですね。

ノーベル賞受賞者 下村脩博士との交流

下村脩博士がオワンクラゲの研究でノーベル賞を受賞したことがきっかけで、オワンクラゲを展示していた加茂水族館に入館者が増えます。

村上さんは、下村脩博士がノーベル賞を受賞した際には祝電と手紙を送ったそうです。

それがきっかけとなって下村脩博士との交流が始まり、1日館長を務めていただいたこともあります。

神様はちゃんと見ていて下さるんですね。

諦めず、頑張れば必ず報われますね。

クラゲの赤ちゃんが見つかり、クラゲの展示を始めたらクラゲの研究でノーベル賞受賞の下村脩博士との交流が始まるなんて、ここだけ見たらトントン拍子に進んだような錯覚に陥りそうです。

村上龍男のまとめ

現在は、加茂水族館名誉館長となられている村上龍男さんですが、ここに来るまでのご苦労は想像以上のものがあると思います。

個人で1億円以上の負債を背負ったりして眠れない日々を過ごされたのではないでしょうか。

閉館危機だった加茂水族館が世界一のクラゲの展示数を誇る水族館となり、入館者数も増え続けて、もうすっかり復活出来ました。

これからまだまだ種類が増えるかもしれませんね。

どんな水族館になっていくのでしょうか。楽しみです。

 
最後まで読んでいただきありがとうございました。



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