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朝ドラ「らんまん」モデル牧野富太郎はどんな人でどこがすごいの?経歴や業績を調査

朝ドラ「らんまん」モデル牧野富太郎はどんな人でどこがすごいの?経歴や業績を調査

2023年4月3日(月)より放送開始予定の連続テレビ小説108作目『らんまん』。

今回は『らんまん』の主人公のモデルとなった高知県出身の植物学者、牧野富太郎について調べました!

『らんまん』は、明治時代を舞台に、神木隆之介さん演じる槙野万太郎が植物の研究に突き進むオリジナルストーリーです。

そこで、牧野富太郎はどんな人なのか?

どんなところがすごいのか?

経歴や業績についても調べました。

朝ドラ「らんまん」モデル牧野富太郎はどんな人?

朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルとなった牧野富太郎はどんな人物だったのでしょうか。

牧野富太郎は日本の植物分類学の父といわれる博士です。

文久2年(1862年)4月24日、土佐国高岡郡佐川村(現佐川町)に生まれました。

ちょっといつ頃なのか想像しずらいですよね。

牧野富太郎の生まれるーヶ月前に坂本龍馬が土佐藩を脱藩した、といえば少し想像しやすくなるでしょうか。

生まれた家は酒造業を営む裕福な商家でした。

ほぼ独学で植物について学び、大学の教室を出入りしたりしながらさらに活動を深めていきました。

全国各地区を自分の足で巡り、植物を研究、発見、命名しました。

日本人が最初に命名した、と言われているのも牧野富太郎による新種の「ヤマトグサ」命名です(1889年)。

生涯をかけて植物研究に没頭した牧野富太郎ですが、晩年も自邸の庭で植物を観察、収集していたようです。

1957年1月18日に満94歳で亡くなりました。

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朝ドラ「らんまん」モデル牧野富太郎はどこがすごい?何をした人?

朝ドラ「らんまん」モデルの牧野富太郎はどこがすごいのか?何をした人なのか?

経歴、業績をそれぞれ詳しくご紹介します!

牧野富太郎の経歴

牧野富太郎は文久2年(1862年)に現在の高知県で生まれます。

名教館で勉強に励み、17歳で現在の高知市へ。

高知中学校の教員永沼小一郎に出会い、「新しい科学としての植物学」を教えられます。

明治17年(1884年)、本格的な植物学を志して上京。

東京大学理学部植物学教室に出入りを許されていたため、大学では植物研究に没頭します。

『日本植物志図篇』を刊行し、次々と新種の発表をするなど目覚ましい活躍を見せていましたが、研究費の負担で、牧野富太郎の実家経営は傾きます。

明治24年(1891年)、家財整理のために佐川に帰郷し、高知で写生・植物採集に取り組みました。

ここで、教授松村任三から帝国大学理科大学助手として招かれることとなりました。

大学の助手として植物の研究に勤しむも、経済的に苦しく、また松村教授ともうまく行かなくなります。

こんな状況のなかであっても、『大日本植物志』を刊行。

各地の採集会に講師として招かれ、また同好会を立ち上げて指導にあたったりするようになりました。

大正15年(1926年)、現在の練馬区立牧野記念庭園に移り、亡くなるまで暮らします。

一般の方でも訪れることができますので、気になる方はチェックしてみてくださいね。

◇公式サイト:練馬区立牧野記念庭園

◇公式ツイッター:練馬区立牧野記念庭園(@makinoteienJP)

昭和2年(1927年)、周囲の声にあと押しされて、理学博士の学位を受けます。

妻が亡くなってからは各地に赴き採集に励みます。

約10年の期間をかけて、図鑑『牧野日本植物図鑑』を完成させました。

昭和14年(1939年)、大学講師を退職。

その後執筆活動を続け、『植物記』、『植物一日一題』などを出版しました。

牧野富太郎の業績

続いて、牧野富太郎の業績についてご紹介します。

記載

日常や仕事の中で私たちがよく使う「記載」という言葉。

実はもう一つ、「生物の種類ごとに、その特徴を学術的に記述し、記録すること」という意味があります。

分類学における牧野富太郎の業績は「植物の記載学」。

かつての日本では、解明されていなかった植物がたくさんありました。

そんななか、牧野富太郎は実際に自分で全国を歩いて調査し、命名、記載した植物は約1500以上にもなったといわれています。

植物図

牧野富太郎は植物図も特徴的でした。

具体的には

  • 全体像を描ききろうとする
  • 同じ植物でも、個体による違いまで描く
  • 緻密性

この丁寧な作業のお陰で多くの人の役にたつ植物図になっているんですね。

標本収集

牧野富太郎が収集した標本は約40万枚といわれています。

様々なツール、インフラが発展した今でも、「40万枚」と聞くととても集められそうにない、という印象を持ってしまいます。

かつて、交通網も未熟だった時代にこの偉業を成し遂げたのは驚きです。

図鑑

現代でいうところの「図鑑」の先駆けを作ったのも牧野富太郎といわれています。

『牧野日本植物図鑑』の出版は、日本の植物教育に大きな役割を果たしました。

 

学術雑誌

出版物は図鑑にとどまりません。

牧野富太郎は下記2種の学術雑誌の創刊に携わりました。

  • 『植物学雑誌』
  • 『植物研究雑誌』

また、『植物学雑誌』は、今でも刊行しており、世界にも『Journal of Plant Research』として知られています。

教育普及活動

牧野富太郎が全国をまわったのは研究だけではありません。

自らの知識を広めるため、

  • 観察会
  • 同好会
  • 講演会

を行ったそうです。

また、自分から講演する機会だけに力を注ぐのではなく、

  • 植物趣味家
  • 研究家
  • 愛好家

といった人たちからの問い合わせにも対応したそうです。

多忙を極めていたはずにもかかわらず、一方的なコミュニケーションで終わらないところがさすがですね♪

朝ドラ「らんまん」モデル牧野富太郎についてのまとめ

今回は朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルとなった牧野富太郎についてまとめました。

牧野富太郎は日本の植物分類学の父といわれる博士です。

全国各地区を自分の足で巡り、植物を研究、発見、命名し、生涯をかけて植物研究に没頭しました。

自分の研究だけでなく、後世へ知識を引き継ぐことへの活動にも熱心であったことがうかがえる経歴、業績でしたね。

経済的に常に余裕があったわけではないにも関わらず、生涯ここまでの活動を貫き通した姿には、並々ならない植物への愛と情熱を感じます。

朝ドラ「らんまん」でどのように描かれるのか、ドラマが楽しみですね。

 

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